Schadenfreude ist die schönste Freude.

ドイツ語でこういう言葉があります。
 
Schadenfreude ist die schönste Freude.
 
日本語訳は「他人の不幸は密の味」です。
「バカにする」、「嘲笑う」、「ざまーみろ」などが近い意味かもしれません。
  
アメリカの「Simsons」というアニメでネルソン君がいつも言ってます。
ドイツでも毎日夕方に一時間ほどテレビで放送されています。
火曜日なんて2時間あるほど、ドイツでは人気があるんですね。 

 
いやーしかし、教育に悪そうなアニメですね。
いやーしかし、おもしろい。
またひとつドイツ語を覚えました☆
 

【文献】発見的最適化手法による構造のフィルムとシステム

発見的最適化手法による構造のフィルムとシステム (Heuristic Methods for Optimization of Structual Systems)
著者:三井和男・大崎純・大森博司・田川浩・本間俊雄
発行所:株式会社 コロナ社
発行:2004年7月15日

1 セルオートマトン法
 砂丘の風紋を見たことがありますか。砂丘では気象状況の変化によって、砂上に様々な紋様が描かれ、時間とともに変化します。この紋様は砂粒だけから構成されていて、風の力と多くの形の異なる砂粒との相互関係で形成されます。ここでは、セルオートマトン法を使い、この現象を紐解きます。

セルオートマトン(Cellular Automata, CA)とはなんなのか。

 砂丘は、大きさと形の異なる小さな砂粒どうしの摩擦によって、沢山の砂粒が集まった場所です。ここに風の力が作用して、あるものは空中に舞い上がって、あるものは隣接した砂粒どうしの力の伝搬によって、迫り上がります。迫り上がった砂粒は、重力の影響により崩れます。このような過程を繰り返して徐々に砂粒は移動するのです。砂粒一つひとつは、周りの状況に応じて、時間とともに自分の位置が決まります。その結果として、全体を見渡すと秩序だった紋様が砂上に現れて見えているのです。つまり、砂丘全体を見渡して、紋様を決定しようとする統一した意思が働いている訳ではなくて、一つひとつの砂粒がある一定の規則によって、それぞれの位置を決め、結果的に紋様が現れます。一定の規則とは、摩擦や重力に関連した力学的な規則が考えられます。もちろん、砂の一粒に対して、はるかかなたの砂粒から直接的な力の影響は受けないでしょう。ごく周辺にある砂粒から影響を受けると考えられます。つまりこの規則は、近くにある砂粒の状態に依存します。このような砂粒間の相互作用は、はるかかなたまで連鎖するでしょう。したがって、はるかかなたの砂粒の影響も間接的に受けていると考えられます。砂丘のこのような状況は、自己組織化の一例です。初期条件や境界条件などの環境と風の強さや向きなどの刺激を設定することで、時間とともに一つひとつの砂粒が位置や向きを変えます。自己組織化の特徴は、全体を掌握した意図的な指示によらず組織が形成されることです。周りとの相互の関わり合い、つまり局所的な相互作用の積み重ねから組織が自動的に形成される点に特徴があります。このような局所的な相互作用の原理に基づく一つのモデルがCAであって、現象解明に用いるCAによる計算手段をCA法といいます。

 CA法は、ある現象をマクロに定義した微分方程式などの関係式により全体像を捉える従来の方法とは異なります。セル間の簡単な規則の積み上げから、セル間の相互作用を通して、全体像を把握しようとする方法がCA法です。この方法は、次の二つの点から最近多くの方面で注目されるようになりました。第1に、複雑な現象を表現する系全体の関係式の構成を考える必要がないこと。第2に、たとえ構成された系全体の関係式が存在したとしても、それを解く必要がないこと。その代わり、対象とする現象を詳細に調べて、単純でかつ適切な局所的な規則群を抽出することが必要になります。CA法の適応例では、避難、火災、地震、雪崩、流体現象、交通状況等のシミュレーション、蝶、魚、貝あるいは動物などの様々な紋様の形成等多くの分野に適用されています。さらに、現象を支配するパラメータが複雑に絡み合う株価や景気などの経済現象、地震や地すべり等から派生する自然災害などにも応用した研究があります。

 構造解析にCA法を応用すると、全体がある目的関数に支配されているという従来の構造解析におけるトップダウン型のアルゴリズムとは異なり、各セルが分散的かつ自動的に自己組織化して、結果として系全体の秩序を形成させようとするボトムアップ型の計算手順となります。これは、創発型計算(emergent computation)に分類されるような計算スキームと考えられます。注意すべき点は、このような計算モデルにより得られる解に対して、必ずしもある目的変数を最大化あるいは最小化するという保証がないことです。しかし、逆に多様な解を容易に生成できるという特徴があり、フィルムの創生などの構造解析や構造設計にも可能性を秘めた方法です。

 セルオートマトン理論の起源は、1940年代にウラム(S.Ulam)との議論を通してノイマン(J.Neumann)により発案されたといわれています。基本モデルとして、有限個の状態設定可能なセルを空間的に規則正しい格子状に相互接続した系で考えられています。この系は各々のセル自身の状態とその周辺のセルの状態に依存して、セル間の単純な規則に従いながら自律的に状態遷移(state transfer)を進める離散化計算法として考案されました。ウルフラム(S. Wolfram)は、このCAの基礎的な状態遷移挙動を詳細に分析して体系化しています。

2 セルオートマトンの定義
 ウルフラムによれば、CAの基本的特徴(定義)は、次のようにまとめられます。
① セルオートマトンは空間と時間を離散的に扱って実際のシステムを理想化する
② セルオートマトンは規則正しい格子で構成され、通常は有限の広さであり、各セルにおいて離散的な変数をもつ
③ セルオートマトンの状態は、各セルにおける変数の値によって完全に明示される
④ 各セルにおける変数の値は、各セルの近傍における変数の値と一定の近傍則に基づき同期的に更新される

 CAの計算モデルの基本は、セル自身の状態がその周辺のセルすなわち近傍(neighborhood)の状態にのみ依存して、セルが状態遷移を進める局所的な規則群を用いた操作を実施することにあります。定義では具体的な規則の決め方やセルの状態は指定されていません。これは自由に決めてよいということです。また、次元にこだわる必要もありません。例えば、三次元では立体的に配列された状態となるのです。解析対象モデルと対応可能であるならばn次元に配列されたCAにも拡張可能でしょう。

3 一次元と二次元の簡単なCAモデルと物理現象
 最初に、力学問題から離れて、セルの状態が1もしくは0の二つの状態のみをとる最も単純なモデルによって、一次元と二次元に対する具体的なCAを表現してみましょう。以下は一次元CAのモデル例です。CA法では近傍と規則の設定をどのように決めるかが重要なポイントです。ただ、一次元の場合は、近傍の取り方が明快であり、時間経過を含めて平面上に状態表示できるので、視覚的に理解し易いと思います。図中の白四角がセルで、一列に並べたものが系全体です。近傍の例を4つ示します。ここで黒四角は対象セル、灰色四角は近傍セルになります。例えば、4近傍モデルは対象セルの左右連続して2つずつ、合計4つのセルを近傍としています。このように近傍の定義を拡張すれば、範囲を広げることができて、対象セルも必ずしも隣接する必要はありません。問題設定によっては様々な近傍パターンが考えられます。

 近傍モデルが定義されたなら、次に規則を具体的に決めなければいけません。ただし、規則は近傍の取り方にも依存します。ここでは、ウルフラムに習って、次の規則を考えましょう。これは連続する三つのセルの状態から真中の対象セルの次ステップにおける状態を規定するものです。

 この規則は、0の状態を白四角、1の状態を黒四角として、前図の2近傍モデルを採用した例になります。この規則を使用して、あるセルの状態配置を出発点として、離散時間ステップごとにセルの状態を更新させます。対象セルとその周辺のセルの状態は、規定した原則に依存して、全セルが同期的に更新を続けます。この規則例を見ればわかるように、対象とするセルの状態は、前ステップにおける隣接セルと自身の状態によって決まります。つまり、2×2×2=8通りの状態を示す並びから、2種類のうち一つの状態を決定する問題である2状態2近傍モデルとなります。規則の決定の組合せ内容は256(=2^8)通り考えられます。ここで示したものは規則146と呼びます。規則番号は次のように決められています。図に示すように三つの並びから決められた処理後の状態を0と1で表示すると左から順に(10010010)になります。この数字を8ビットの2進数として読み替えると10進数で146(=1×2^7+0×2^6+0×2^5+1×2^4+0×2^3+0×2^2+1×2^1+0×2^0)となります。任意の初期状態に任意の規則を適用すると、ステップを進めることで様々なパターンが出現します。規則146により出現するパターン(それを状態遷移図と呼びます)の例を示します。この図は”Wolfram mathworld”からお借りしています。(詳細はこちらhttp://mathworld.wolfram.com/ElementaryCellularAutomaton.html)このパターンは空間的広がりを行方向、時間的広がりを列方向にとり、マトリックス表示しています。このように与える規則によって異なった状態遷移図が得られます。

 次に、CAの定義に基づき、規則正しく配列させた二次元CAモデルによる基本的な局所規則を考えてみましょう。二次元CAの基本モデルとして図の二つの近傍がよく知られています。一つは、中心の対象セルに隣接した上下左右の四つのセルから構成するノイマン近傍です。もう一つは、周囲の八つのセルからなるムーア近傍です。

 ここでは、ムーア近傍を基準に、いくつかの近傍規則を見てみましょう。まず、コンウェイ(J. H. Conway)のライフゲームです。このゲームは初期状態に応じた空間的パターンを追跡して、その時間的移り変わりを楽しむものです。セルの状態は、一次元CAモデルのように、それぞれ0か1のいずれかの値をとります。具体的な局所規則の例を下図に示しています。中央の対象セルが隣接した近傍の状態でどのように変化するかを表しています。セルの状態は白四角(0)と黒四角(1)です。対象セルとその近傍の合計九つのセルの状態和が4であるとき、次ステップで対象セルは同じ状態を保ちます。総和が3のときは1の状態、それ以外は0の状態とします。


 
 これは、バクテリアなどに見られる生存状況に置き換えると、次のように解釈できます。生(1の状態)と死(0の状態)において、生の状態で周囲が2~3個体生存していると快適な状態で、自身も生存ができます。反対に、過密(4個体以上)や過疎(1個体以下)だと自身は生存ができなくなります。また、死滅している状態でも、周囲に3個体生存していれば、適切状態とみなされ生命は誕生します。このことからライフゲームという名称がつけられたのだと思います。
 
 次に、セルの状態が1と0の二つではなくて、三つの場合に拡張してみましょう。いま、各セルが-1、0、+1のいずれかの値をもつことにします。更新の規則は次のように設定します。ムーア近傍に+1の状態が二つあるとき、対象セルがー1であれば0に、0であれば+1に、+1であればー1にと次ステップのセル状態を決めます。他の場合は変化させません。この規則だと、ライフゲームとは変わったダイナミックな状態遷移パターンが得られます。
 
 最後に、物理現象に関連したCAのモデルを考えます。例として、状態が0~255の値をもつ256の状態が設定できるセルを想定します。規則は、ムーア近傍八つのセルの状態平均値を整数化し、その値を次ステップの対象セルの値とする単純なものです。初期状態として系の一部のセルに大きな値を与えると、ステップを繰り返すことで、徐々に数値が系全体で均一化するように広がります。このモデルは、熱などの拡散現象のシミュレーションに対応します。また、近傍セルの状態平均値の整数化した値に、1などの正の整数を加えた値を次ステップの対象セルに設定することを考えます。ただし、セルの値が256以上になったときは、256を引く操作もいれます。これは沸騰現象をシミュレートしたCAモデルとなります。
 
 ところで、現象を追跡できる正当性が示されるなら、モデルを規則正しい空間配列に限定する必要もありません。局所規則を用いた更新が同期的である必要もありません。ここまでの二次元CAの説明では、セルの状態を離散値の有限集合に限定しました。しかし、これを限定する必要もないですし、ノイマン近傍やムーア近傍だけでなく、近傍の定義も一次元CAのように様々に設定できます。CAのモデルは、近傍の状態のみで対象セルの状態を規定する方法と解釈すべき自由度の高い計算法であり、近傍の取り方と局所規則に対するユーザの発想が重要となります。
 

【文献】林業と環境-第1章 森林利用の段階

序説 林業政策の概念、内容、意義
 ハーゼルさんは冒頭に林業政策の意味を述べます。

     林業政策は2つの顔がある。学問としては林業学の一部であり、森林と人類社会の場所的、時間的、経営ごとに変化する多様な関係、森林と林業の経済的、国土保全的、国民の保健的課題の検討並びに森林所有者にこれらの課題の達成を可能にさせるための国家ないしはそれに準ずる機関の作用に関して考究することである。また一方で、林業政策的目的概念と秩序づけ概念を現実に移すことを課題としているような国家の機関あるいは国家によって委任された機関の実践的活動でもある。林業政策は、森林と林業に課された課題が持続的に理想的な形で達成されるように絶えず配慮を行うことであるということもできる。この学問と実践の両側面は学問的認識の上に林業政策的活動が構築されるということにおいて、互いに密接な関係を保っている。

この学問と実践の両側面は学問的認識の上に林業政策的活動が構築されるということにおいて、お互いに密接な関係を保っています。
 林業政策の本質に精通しようとするならば、「政策(Politik)」の概念をつまびらかにしておく必要があります。政策というのは、単に国民の特定層や特定集団のためでなく、人類社会の一般的な発展と福祉を指導目標とする活動を包括しています。この意味においては、政策は共同社会の管理を課題として、公共の福祉の実現ならびに国民個々人、その集団、全国民共同体の生存に対する配慮を目的としているような国家的機関または国家から委任された機関の活動であると理解されるでしょう。
 林業政策は林業学の1部門です。林業政策的問題の学問的な取り扱いは、森林の生態、林業の特色、林業経営の多様な形態に精通していることが前提とされるので、林業学の教育を受けた人だけ独特の領域なのです。林業政策的問題の研究は林業経営と林業行政のあらゆる分野にわたる詳細な実務経験を前提としていて、現実から離れた理論化や一方的な法律論になることは避けなければなりません。
 林業政策は中央官庁の活動や内閣次元で重要な役割を演じます。内閣や中央官庁で林業政策の基準線が作られて、それを基礎にして下級官庁が活動します。過去に北ドイツでは、国家的な森林行政が国有林だけに関心を示し、国有林を外部からの干渉と影響から守ることだけを試みて、私有林にはほとんど関係しなかったということがあったり、森林の国土保全的使命と国民保険的使命があまり重要視されていなかったりしました。これに反し南ドイツでは、森林所有の分化と森林行政の市町村有林や私有林に対する活動が相当古くから行われいたので、林業政策問題の論議を非常に促進して、林業政策の学問が形成されました。
 実践的活動としての林業政策は「政策とはあらゆる変化する要素のなかで最も合目的なことで最も損害の少ないことを行う能力である」とビスマルクは言いました。林業政策の目指すところは、政策的な行為をする人々に判断の基礎と実行手段を提供して、政策行為を受け入れ得る社会的素地を作ることです。
 林業政策も所詮は、一国を支配している政治的、経済的、社会的な見解と状況の産物です。したがって林業政策的な理解、処置、目的も時代の変遷につれて変容してきたし、国や地方によっても全く異なっています。つまり、林業政策論には、場所的、地域的な特色の解明、歴史的な関係の明確化、現象と処置に関する歴史的条件の解明等が非常に重要になります。私たちは、なぜ林業政策的措置がある時期とある特定地域では林業の発展のを促し、また促さなかったのか、なぜ同じ州内であるにもかかわらず同じ課題について異なった林政的規制が地域的に並列的に成立したのか、なぜ重要な課題が未解決にされてきたのか、を知らなければなりません。
 林業政策は将来を指向し、社会と経済の変化を先取りして対応しなければいけません。しかし、林業家は自らの行動の限界も知っていなければなりません。その限界は森林の位置する自然環境や、森林所有者自身の経済力と経営目的によって示され、また政治的与件によっても規制されます。限界は林業政策の願望が公共のより切実で重要な願望と矛盾するような時には林業政策そのものにも課せられます。木を見て山を見ないといったあまりにも狭量な考え方は慎まなければなりません。数十年からときには百年以上にも及ぶ森林の生産過程がほかの産業にはわからないようないろいろな問題を伴います。林業では行為の実行・不実行の成功・不成功は長い時間の経過の後にはじめて明らかになるのであり、短期間にはわかりません。
 林業は一般社会に向かって門戸を開き、公開の場での質疑に応ずる姿勢を示さなければならないし、林業政策学者も自己の専門分野に傾倒するばかりではなく、森林および林業に携わる人々を広く林業政策問題に精通させるよう努めなければなりません。この課題の達成を本書に託したいと思います。
   
第1章 森林利用の段階
 森林の利用は必然的な段階をふみながら展開してきました。国や地域による森林利用形態の違いは、まさに発展段階の表現であって、先進後進の差はありますが、全て同じ方向を指した発展過程の途上に位置づけされます。現在の地球上にはかつてドイツに存在していた森林の利用形態が見ることができます。私たちは今もそしてこれからも、いろんな形の森林が利用されていくのを見ることになるでしょう。
 太古の昔、ドイツ辺りには大森林があって、そこは人類の食糧採取と狩猟の場でした。旧石器時代後期には、森林は優先的に狩猟地として利用されました。新石器時代は、定住するようになった人類が耕作や牧畜に移行してからは、狩猟は次第に紳士の特権になっていきました。森林と人類の間の関係がもう一歩進むと、農業による森林の利用が行われます。森林の多い地帯では数百年間、森林の利用と農業の間に非常に密接な関係が成立します。まだ発展していなかった農業は、農業自体の存続と食糧生産のために森林の利用が必要でした。19世紀になってやっと近代的農業の形成によって古い森林利用形態は終わり、いまや林業は独立し、工業時代の用材生産の課題に専心することができるようになりました。
 牛の林内放牧は、森林の衰退をもたらします。アルプス地方やシュバルツバルトで部分的に何百mも森林限界を引き下げました。現代的農業のジャガイモの栽培と、舎飼いが転換期をもたらして、林内放牧は無用になりました。19世紀には山岳地帯周辺に限られるようになります。これは現代農業の展開と、地方における社会的状態の根本的な改善が、森林を林内放牧から解放したということです。と同時に、森林と放牧地を分離する原則が、農業と林業に有利であることがわかりました。
 ドイツでは林内放牧は行われなくなりましたが、その代わりに落葉採取が開始されました。これは、当時の舎飼いで農業経営では供給できないほどたくさんの敷き藁を必要としました。そこで広葉樹の落葉を家畜小屋で使うようになりました。1750年以来、落葉採取は特に広葉樹地帯と住居に近い森林で、想像を絶する規模で行われました。森林内の落葉採取は、重要な養分を取り去り、土壌の構造と性質を悪化させて天然更新を不可能にし、あるいは材木の成長と健康に大きな害を及ぼします。ドイツにおいて、19世紀から今日まで持続されている広葉樹から針葉樹への大規模な林種転換の最初の動機は林内放牧と落葉採取の帰結に見出されます。地力に対する要求の少ない針葉樹(トウヒとマツ)に移行するほかに仕方がなかったのです。しかし、荒廃した広葉樹林のかわりに現れた針葉樹林は、広葉樹よりも暴風雨、雪、昆虫、その他の数多くの被害にはるかに弱いのです。したがって針葉樹への森林のやむを得ない転換と成長量の増加は、経営安定性の減少に結びつくのです。
 その他の森林利用の重要な段階の一つに、森林の開墾があります。すでに新石器時代には、大規模な開墾が実行されていました。その後も森林は人口の増加、居住地の拡大、食糧需要の増大につれて開墾されます。ドイツにおいては中世時代に最高に達して、三百年の間に今日私たちが目にするような景観の森林と農地の分布になりました。しかし中世時代の終わりには、すでに森林を維持する努力が行われていました。それは森林がいかに大切であるかが認められてきたからです。森林開墾はその後、領主や地主の許可がなければできなくなります。以来、農地と林地の分布はだいたい固定されています。このようにして、最高時に70~80%であったドイツの森林率が、現在29%(2010年は約31%)に減少しています。
 材木その他の林産物の利用の開始は占取を形造り、必要な樹種の木材が運財の便の良い場所で単木的に収穫されました。占取(Okkupation)とは、法律用語で無主物を占取することを意味します。占取は目立たない程度に森林を侵害していき、人口増加と需要増大とともその干渉は強まります。官憲の監督がないとついには森林の荒廃をきたします。官憲による森林収穫の秩序付けと監督はドイツでは比較的早く行われました。無規制な占取の後に続いて「伐採規制」が行われました。
 林業への道の発展段階のうち、林業の直前の段階で掠奪が行われます。掠奪(Exploitation)とは、一定の商業または工業への供給を目的とした森林への大面積の侵害または保続性を無視して金銭的利益を得るために行う森林への大面積の侵害のことです。ドイツではそれは初期資本主義時代からありました。重商主義の時代にガラス工場、製塩場、鉱山、製鉄所への供給のために行われた林木収穫は多分に掠奪の性質を持っていました。18世紀に山岳地帯の湖や小川を筏流しに利用するようになると広い地域にわたって大面積の森林荒廃が起こり、大規模の皆伐も行われました。18世紀後半から19世紀の初期にドイツでは林業への移行が行われました。数百年間森林に依存していた工業は、石炭の採掘ととも森林から独立していきます。いまや発展した交通は木材の陸上輸送と長距離輸送を可能にしました。そうこうするうちに台頭した工業化は林業の生産目的を全面的に用材に移行させていきました。
 ハーゼルさんは林業の概念を次のように定義しました。 ”林業は、森林という植生形態のなかに存在している自然力と物質が、専門的知識に基づいて、収穫と保育に意を用いた計画的で保続的な経済的活動の対象になるところに存在している。” この定義は、原材料機能と所得機能が林業の第一義的な課題であり、そして森林の保全機能(気象、空気、洪水調節、水源涵養、土壌維持、地力などに与える森林の有利な影響)は、保育された経済林で最適に果たされるので、保全機能に特別な考慮を払うことは一般に不必要であるという19世紀に確立した理念に基づいています。また、 ”木材危機に対する配慮が専門知識的、計画的、保続的な林業の理念を成立させ、現在のための収穫とともに将来の世代の収穫も考慮しなければならないという信念によって森林の利用が実施されたときに林業(Forstwirtschaft)という。将来の世代の需要充足も完全に確保されるような範囲においてだけ森林の収穫は行われるべきであると理解されている。” と記しています。
 林業とは、森林の多様な課題を保続的に最適に実現することです。材木生産と公共へのサービス提供という林業の二重機能が工業時代の林業の指導理念を形造ります。それは政策と経済における林業の立場を規定し、総体の経済の中で林業独特の立場を基礎づけています。社会に対する森林所有者の立場も影響を受けます。森林所有者は他の土地所有者よりも強く社会に対する義務を負わされています。しかし、社会的利益の観点からも森林所有者の利益の観点からも森林の保続性は最も大切なことです。
 林業は保続性という本質的な特徴を常に伴っています。保続性の概念は時代の経過にしたがって数多くの解釈が行われ、林木生産、林木収穫、林種収穫、貨幣収益に関係づけられました。しかし、これらの解釈は林木生産経営だけを対象としていて、森林の公益的機能を正当に取り扱っていません。私たちは「現在生きている世代が与えられているのと同じ効用を子孫が森林から抽き出すことができるように」計画することを要求した Georg Ludwig Hartig にさかのぼらなければならない。
 保続的林業経営の要求は林業以外の産業部門にはない特色です。それは林業の生産期間が農業や工業のように、数日、数週間、数ヶ月といった期間ではなくて、数十年あるいは百年以上にもわたっていることに関連しています。森林所有者はその前の世代が働き、保育し、節約したものだけを森林からの収穫として手に入れます。林業のように過去、現在、未来が密接に結ばれている産業部門は他にありません。林業は世代を結びつけるのです。
 林業は森林所有者に農業や工業とは比較するものがないような精神的な態度を要求します。この将来のための思考と活動は特殊なものであって、林業以外のあらゆる種類の人類の活動に対比して林業を特徴づけ、区別します。林業のこのような道徳的思考を特徴付けるために森林家精神(Waldgesinnung)という言葉が使われます。森林家精神とは、森林に対する森林所有者や国民の内面的態度、公共と子孫の利益の維持のために犠牲と制約を自己に課す義務の感情をいいます。一国の森林立法はそこに支配的に行われている森林家精神、つまり、公共のために犠牲を引き受け、あるいは指令する準備の反映です。
 

“Jetzt erst recht” Ein kleines Konzert in Japan

2011年8月20日のSüdwest Presseという新聞にこの記事がありました。
 
http://www.swp.de/ulm/lokales/ulm_neu_ulm/Zeichen-setzen-mit-Musik;art4329,1081796,A

 
タイトルはこうです。
「Zeichen setzen – mit Musik」
比喩的表現で少しわかりづらいですが、かみつキッドが訳すとこれです。
「音楽にのせて」
このタイトルがなにを表現しているのかは本文を読んでください。
※本文の内容はかみつキッド風に翻訳されています。

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Natürlich war am Anfang die Verunsicherung groß.Fliegen wir? Fliegen wir nicht? Doch der Ulmer Musiker Hartmut Premendra Mayer ist kein Mann der vorschnellen Entschlüsse. Abwarten hieß seine Devise, ruhig abwarten. Alles war perfekt vorbereitet gewesen für die zweiwöchige Konzertreise Ende Juli nach Japan: die Reiseroute, die Unterkünfte, die Freizeit, die jeweils drei Probentage in Kawaguchi und Inuyama und die beiden Schlusskonzerte. “Am nördlichen Rand von Tokyo” liege Kawaguchi mit seinen 550 000 Einwohnern, die mit rund 75 000 Einwohnern eher kleine Stadt Inuyama liege “nahe Nagoya”, hieß es in der Ausschreibung. Mehr geografische Details waren nicht nötig. Bis zum 10. März, dem letzten Anmeldetag, hatten sich 45 versierte Amateurmusiker und einige Profis zwischen 16 und 65 Jahren aus dem süddeutschen Raum angemeldet. Es hätte losgehen können.
 
もちろん始めは大きな戸惑いがあった。飛ぶのか?飛ばないのか?だが、ウルムの音楽家、ハルトムート・フレメンドラ・マイヤーは軽率な決断はしない。彼のモットーは静かに待つということ。日本での2週間あるコンサートツアーの準備は完璧だった。埼玉県川口市と愛知県犬山市での公演のこと。東京の北に位置する川口市は55万人、犬山市は7,5万人の名古屋の近くに位置する小さな街。多くの地理的な情報は必要なかった。3月10日までには、16~65歳の45人のアマチュアと何人かのプロが参加を申し込んでいた。もうできるはずだった。
 
Dann kam der 11. März – und mit ihm die Nachricht von der Reaktorkatastrophe bei Fukushima. Was ist dagegen eine Reise, die vermutlich abgesagt werden muss, eine Vorfreude, die sich nicht erfüllt? Mit jedem Tag wuchs das Entsetzen, mit jedem Bericht über die unwägbare Strahlenbelastung schrumpfte die Teilnehmerzahl. Plötzlich erhielten die Kilometer zwischen Kawaguchi und dem den meisten zuvor unbekannten Fukushima eine – im Wortsinn – unheimliche Bedeutung. Knapp 300 sind es, von Inuyama noch 200 Kilometer mehr, aber was sagt das schon. Von den 45 Musikern sprangen 39 ab. Mayer konnte es “total verstehen”, wie er sagt.
 
3月11日になり彼のもとに福島の原子炉事故のニュースがはいる。ツアーの中止より悲しみはたくさんある。その衝撃が増すにつれ、参加者の数も減っていった。あまり知られていなかった福島と川口市との間の距離感は恐ろしさを含んでいた。それはかろうじて300キロの範囲にあり、犬山市からだとさらに200キロ離れていたが、そこに意味はあるのか。45人中39人はキャンセルした。彼は”仕方がない”と言った。
 
Er selbst hatte sich nach mehreren Gesprächen mit Experten anders entschieden, und mit ihm ein Häuflein Geiger und Bratscher. Jetzt erst recht, sagten sich Franz Scheuerle aus Rot an der Rot, Ulrike Soulier aus Erbach, Christian Romanitan aus Laupheim, Ekbert und Christiane Hering aus Heubach, Karin Saleina aus München und Megumu Rommel, die Reiseorganisatorin aus Laupheim. Jetzt die Japaner nicht mit einer Absage enttäuschen in ihrer verzweifelten Lage, nicht nur aus der sicheren Ferne mitfühlen, sondern mitten unter ihnen. Kurz: Sie wollten ein Zeichen setzen. In Japan angekommen, merkten sie, wie sehr sich ihre Gastgeber darüber freuten. Auf die kleine Gruppe warteten in Kawaguchi und Inuyama mehr als 400 bestens vorbereitete Orchestermusiker und Chorsänger, die jedem Wink des deutschen Dirigenten mit Feuereifer folgten. Die beiden Konzerte mit Beethovens Neunter, die sich der Bürgermeister von Kawaguchi für sein Internationales Kulturaustauschfestival gewünscht hatte, wurden mit 2000 und 1000 Zuhörern überwältigende Erfolge. Hauptthema bei vielen Gesprächen: die Atomkraftwerke. “Wie schafft ihr es, eure Politiker dahin zu bringen, die AKWs abzuschalten”, wurde Mayer immer wieder und vor allem von engagierten Frauen gefragt. Unüberhörbar, wie schwer beschädigt das Vertrauen der Japaner in die Regierung und die Atomindustrie ist.
 
だが、彼自身は専門家と話した上で、数人のバイオリストと共に違う決断した。今だからこそやるべきだ。中止にして日本の人々をがっかりさせたくない。日本に着いたときにどれほどの人々が喜んでいたか、そのことで気づいた。川口市と犬山市でこの小さなグループを待っていたのは、400人以上の熱心なオーケストラと合唱団だった。川口市長が国際文化交流フェスティバルで希望していた第九は、川口市では2000人、犬山市では1000人もの観客が入り大成功した。ツアー中の多くの会話は原発についてだった。”どうやってドイツの政治家に原発をやめさせることができたのか”と一生懸命な女性たちに聞かれた。日本人が政治家と原子力産業への信用を失くしたことがわかった。
 
“Die Katastrophe ist allgegenwärtig”, sagt Mayer, auch wenn die deutschen Musiker keine konkreten Auswirkungen des folgenschweren Erdbebens sahen. Die Energiesparmaßnahmen, unter denen die Japaner klaglos leiden, bekamen sie nur in Form schwächer gestellter Klimaanlagen zu spüren: “Bei 35 Grad tropischer Hitze brauchte ich an einem Probentag vier bis fünf T-Shirts”, sagt der Dirigent. Im Vergleich zu 2010, als er mit seinem “Cellophoniker”-Ensemble schon einmal in Kawaguchi musizierte, hatte er den Eindruck, dass die Straßen früher dunkel wurden und weniger belebt waren, das Kulturleben reduzierter war. Statt japanischen Sprudels trank er Evian-Mineralwasser und verzichtete auf frisches Gemüse vom Markt. Auf der Regierungswebsite hätte er tagtäglich die ungefährlichen Strahlenwerte für die Präfektur Saitama abrufen können. “Aber kann man es glauben?” Dennoch habe er während des gesamten Aufenthalts keinerlei Bedrohungsgefühle gehabt.
 
ドイツの音楽家たちは具体的に地震の傷跡を見なかったが、”どこにでも災害の影響はある”と彼は言う。とられた省エネ対策はエアコンの節約だけだった。35℃の暑さで練習日には4,5枚のTシャツが必要だった。2010年にも川口市に演奏会をしに訪れているが、その時よりも通りは早く暗くなり、あまり賑やかではなかった。都市の日本人はミネラルウォーターを飲み、市場の新鮮な野菜をやめた。埼玉県のウェブサイトで毎日、放射能のチェックをした。”だがそれを信じていいのか”それでも彼は滞在中、少しも怖い気持ちにはならなかった。
 
Emotional aber habe ihn vieles heftig angegriffen, erzählt der Musiker. Ein Freund, den er während der freien Tage in Kyoto besuchte und der sich für die Hilfe im Norden Japans engagiert, zeigte ihm ein Privatvideo von der Katastrophe und ihren Folgen. “Wir in Europa vergessen so schnell, dass viele Menschen alles verloren haben durch den Tsunami, dass viele Kinder zu Waisen wurden, viele Schulen zerstört sind”, sagt Mayer. Der Freund erzählte auch von der Schichtarbeit, die seine Firma wegen der verringerten Energieversorgung eingeführt hat, auch am Wochenende. Der 11. März hat den Alltag der Japaner, selbst einige hundert Kilometer von Fukushima entfernt, verändert.
 
精神的に衝撃を受けた、と彼は語る。休日、京都を訪れたとき友人が彼に震災の個人的なビデオを見せた。津波によりたくさんの人が亡くなられたこと、たくさんの子供が孤独になっていること、ヨーロッパでは早くに忘れられている。友人はまた彼の会社でも交代勤務や週末勤務もしていると語った。3月11日の出来事は、福島から何百キロも離れている日本人の日常生活も変えてしまった。
 
Und doch: Nirgends ist Mayer auf Klagen, Jammern oder Selbstmitleid gestoßen. Er bewundert diese “Disziplinkultur” der Japaner. Aber: “Über allem liegt eine Traurigkeit. Keine Depression, die lähmt, aber eben diese große Traurigkeit. In dieser Situation ,Freude schöner Götterfunken und ,Alle Menschen werden Brüder zu singen, das war . . . das war . . .” – Hartmut Premendra Mayer findet dafür keine Worte. Wozu auch. In Kawaguchi und Inuyama hat die Musik gesprochen. Und alles gesagt.
 
マイヤーは日本人が泣き言を言うのを見たことがない。彼はこの日本人の”秩序文化”に憧れている。どこにでも悲しみがある。この状況で”Freude schöner Götterfunken” と ”Alle Menschen werden Brüder” と歌うことは、言葉にできないものがある。言葉にする必要はない。川口市と犬山市では音楽が話したのだから。全てを言ったのだから。
 
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2011年の夏にこんな演奏会があったなんて知りませんでした。
この未曾有の震災は言葉では言い表せられないものがあります。
海外の人との会話でも、災害に必死に立ち向かう日本人の評価は大変高いように感じます。
3月11日の出来事は日本だけではなく世界にも大きな影響を与えています。
 
時には音楽は言葉を越えて想いが伝わるものです。
かみつキッドも心からそう思っています。
 
この川口市と犬山市の公演はぜひ聴いてみたいと思いました。
 

【文献】林業と環境

林業と環境 (Waldwirtschaft und Umwelt)
著者:カール・ハーゼル
訳者:中村三省
発行所:社団法人 日本林業技術協会
発行:1979年1月30日
 
本書は、1979年に出版された現代西ドイツの林業政策学の本です。著者 Dr. Karl Hasel は その著書Waldwirtschaft Und Umwelt を1971年にパウルバーレイ出版社より発行しました。日本語訳者は中村三省氏です。
少し話しが長いので何稿かにわけてこれから紹介していきたいと思います。
 
目次
序説 林業政策の概念、内容、意義
 
第1部 森林と人類社会の関係
第1章 森林利用の段階
 1.1 食糧供給と植民の場としての森林
 1.2 占取
 1.3 掠奪
 1.4 林業
 
第2章 林業政策的機能論
 2.1 面積機能
  2.1.1 世界の森林面積
  2.1.2 ヨーロッパの森林状態
  2.1.3 西ドイツの森林状態
  2.1.4 西ドイツの森林所有
 2.2 森林の保全機能
  2.2.1 一般論
  2.2.2 保全作用の各論
   2.2.2.1 気候に及ぼす森林の影響
    2.2.2.1.1 気温に及ぼす森林の影響
    2.2.2.1.2 降水量に及ぼす森林の影響
   2.2.2.2 森林の空気浄化作用
   2.2.2.3 森林の騒音防止作用
   2.2.2.4 森林の放射線防止作用
   2.2.2.5 水収支、水浄化、水供給に及ぼす森林の利用
    2.2.2.5.1 森林の水調節機能
    2.2.2.5.2 清潔な水の供給
    2.2.2.5.3 水供給の増大
   2.2.2.6 土壌維持と地力に対する森林の作用
    2.2.2.6.1 水による土砂流出の防止
    2.2.2.6.2 洪水の阻止
    2.2.2.6.3 風触の阻止
    2.2.2.6.4 なだれ、その他の自然災害に対する保安
  2.2.3 森林の保全機能の結論
 2.3 森林の休養機能
 2.4 森林の原材料機能
 2.5 森林の所得機能
 2.6 森林の予備機能
 2.7 森林の労働機能
 2.8 森林の財産機能
 2.9 森林の狩猟業的機能
 2.10 森林文化的機能
 
第3章 他産業と林業の関係
 3.1 農業と林業の関係
 3.2 森林と工業の関係
 
第4章 林業と国土保全
 
第5章 国土秩序づけにおける森林と林業
 5.1 国土秩序づけと州土利用計画の成立、ならびに工業社会におけるその意義
 5.2 国土秩序づけと州土利用計画の概念
 5.3 森林と国土秩序づけの関係
 5.4 国土秩序づけと州土利用計画の教育
 5.5 一般的にみたドイツ連邦の国土秩序づけの現状
 5.6 ドイツ連邦国土秩序づけ法
 5.7 州土利用計画
 5.8 州土利用計画に対する森林管理局の寄与
 5.9 市町村計画(建築指導計画)
 
第2部 林業政策論応用編
第6章 森林政策の担い手
 6.1 連邦
 6.2 州
 
第7章 林業関係団体
 
第8章 森林立法
 8.1 一般論
 8.2 1945年までのドイツにおける森林立法の歴史
 8.3 森林立法と法律秩序
 8.4 連邦森林法公布までのドイツ連邦の森林立法
 8.5 森林立法の一般論
  8.5.1 連邦森林法公布までの各州の森林立法の状態
  8.5.2 1975年5月2日の連邦森林法
  8.5.3 今日の森林法はいかにあるべきか
  8.5.4 全森林所有形態に対する森林の一般的規定
   8.5.4.1 森林法の目的
   8.5.4.2 森林の法律的概念
   8.5.4.3 森林所有形態
   8.5.4.4 森林基本計画
   8.5.4.5 森林機能の確保
   8.5.4.6 森林の維持
   8.5.4.7 原野造林
   8.5.4.8 森林の経営
    8.5.4.8.1 森林所有者の基本的義務
    8.5.4.8.2 保続的林業経営
    8.5.4.8.3 保育的林業経営
    8.5.4.8.4 私有林における皆伐の認可義務
    8.5.4.8.5 自然災害と森林火災に対する保全処置
    8.5.4.8.6 林道の建設と維持
    8.5.4.8.7 森林の計画的経営
    8.5.4.8.8 林業専門的知識による林業経営
    8.5.4.8.9 環境に対する森林経営の配慮
    8.5.4.8.10 森林の隣人権
   8.5.4.9 保安林
   8.5.4.10 休養林
   8.5.4.11 森林内への立入り
   8.5.4.12 森林所有者に対する補償
   8.5.4.13 費用の補償
   8.5.4.14 林業の助成
   8.5.4.15 森林監督と森林所有者に対する助言
   8.5.4.16 森林官庁の役割りと権限
   8.5.4.17 森林委員会
第9章 連邦有林
 
第10章 国有林
 
第11章 団体有林
 11.1 市町村有林
  11.1.1 市町村有林の構造的特徴
  11.1.2 市町村有林の機能
  11.1.3 市町村有林規制の法律的基礎
   11.1.3.1 市町村の自治
   11.1.3.2 市町村の監督
   11.1.3.3 市町村有林に対する森林監督
   11.1.3.4 市町村有林と市町村の関係
   11.1.3.5 市町村有林の面積状態からの結論
  11.1.4 市町村有林規制の各論
   11.1.4.1 市町村有林の森林区画
   11.1.4.2 市町村有林における森林技術施行実行
   11.1.4.3 州による施業実行
   11.1.4.4 市町村有林における森林経営業務
   11.1.4.5 市町村の費用負担
   11.1.4.6 市町村有林の施業計画の作成
   11.1.4.7 経営原則
   11.1.4.8 過伐
 11.2 その他の公法の団体の森林
 11.3 共同体有林
 
第12章 私有林
 12.1 大私有林
 12.2 中規模私有林
 12.3 小私有林
  12.3.1 小私有林に関する研究と学説
  12.3.2 小私有林の成立
  12.3.3 統計的基礎
  12.3.4 小私有林所有者の類型別特徴
  12.3.5 小私有林の面積と構造に与える相続習慣の影響
  12.3.6 小私有林の機能
   12.3.6.1 必需品としての農家有林
   12.3.6.2 面積機能
   12.3.6.3 原材料機能
   12.3.6.4 所得機能と予備機能
   12.3.6.5 労働機能
   12.3.6.6 保全機能
   12.3.6.7 結論的考察
  12.3.7 小私有林所有への助言
  12.3.8 助言以外の農家林振興措置
  12.3.9 小私有林に関する森林法の規定
 
第13章 林業経営の構造改善と給付改善
 13.1 山林利用権の規制
 13.2 林地売買の監督
 13.3 森林交換分合
 13.4 森林組合
  13.4.1 森林組合の概念と体系
  13.4.2 森林組合の目的の変遷
  13.4.3 現在の森林組合
   13.4.3.1 森林財産組合
   13.4.3.2 経営組合
 13.5 新時代の森林組合のあり方
 13.6 森林組合に関する連邦法
 
第14章 結びにかえて
 

Sprite Spiegel ゚*。+゚゚*。+゚★☆


 
待望の中嶋ヤマト先生の新作が登場です。
11月9日に少年画報社より単行本として最新刊が出版されました。
『スプライトシュピーゲル』、妖精の鏡??
なぜ英語とドイツ語がミックスされているのか、原作者に聞かないとわかりませんが。
昨年の3月からヤングキングアワーズという雑誌で連載されています。
原作はあの有名な沖方丁(うぶかたとう)さんです。
かみつキッドもまだ全部読んでいないので、帰国後しっかり読みたいと思います。
舞台となるウィーンの国際戦犯法廷。この開催を阻止しようとする勢力が襲いかかります。
物語のヒロインとなる3人の女性が、証人たちを守るため戦います。
現実の国際経済や国際政治の複雑な因果関係がその背景にある奥の深い話になっています。らしいです。
内容は少しだけグロッキーなところもありますが、絵にもぜひ注目してください。
  
なぜこの漫画を紹介したかというと、かみつキッドのいとこのお兄さんは漫画家なのです。
実はこのブログの端にある、バイオリン背負って地球儀まわしてる柴犬も中嶋ヤマト先生に書いてもらいました。
 
身内から有名人がでるのは胸が膨らむおもいですね。
 

Nach dem Traum チェキーラの果てに

昨晩はほぼ一年振りに親友と会い、時を忘れるほど楽しい時間を過ごした。
テキーラにZimt(シナモン)とChili(トウガラシ)をいれたら30度を越えるチェキーラになる。最初はチリとテキーラの辛味が舌を刺激し、後からzimtの香りと甘味に変化してなかなか美味しい。この甘味がさくらミント味の水タバコによく合う。親友との再会にテンションが上がりすぎたかみつキッドは、そのチェキーラをどれほど飲んだだろうか。帰る頃にはすっかり気分が悪くなり、帰宅後すぐにベットで横になる。
 
そこで夢を見る。
 
夢の始まりは、マラソン大会で走っている自分の姿と何人もの選手とたくさんの観客だった。
シーンは飛んで表彰式になる。
もちろんかみつキッドは表彰なんてされないが、なぜかうちのおとんが役所の代表として祝辞を述べている。
どこかの警察署の所長もゲストとして呼ばれているようだった。
そこで突然、所長がうちのおとんに向かって大衆の前で詰め寄る。
「あなたは駐車違反をしましたね。そしてそれを隠蔽した。」
「そんなわけあるかい!」
と、かみつキッドが言いかけた瞬間、確かにマラソン中におとんが駐車違反し、しかもそれをPhotoshopを使って改ざんしていたのを思い出した。
これに焦ったおとんとかみつキッドは、なぜか一目散に帰ろうとする。
帰り道はなぜか30mも続く急傾斜で、パイプを手すりにして這いながら降りなければならなかった。
追われる側のあまりのプレッシャーにおとんは手を滑らせ落下し、水たまりに落ちる。
この時は雨が降っていた。
30mの垂直落下なのでこれはかなり焦った。
急いで降りたかみつキッドは黒のRVRを乗るおとんに早く車に乗れと急かされる。
おそるべしおとん。
悪いことして逃げて落下してるくせになぜかピンピンしている。
しかし所長は諦めない。
所長のありえない執拗な責めと大衆の冷たい視線で表彰式の場は白け、せっかくのマラソン大会は台無しである。
そんな時にかみつキッドは吠えた。
いわゆる逆ギレである。
辺りは静まり返り、かみつキッドもなぜこっちが怒らないといけないのかさっぱりわからない。
悪いのはおとんの隠蔽工作である。
そしてここが一番重要なところで、とにかくかみつキッドはマラソンの時からずっとトイレに行きたかったのだ。
 
ここで目が覚める。
 
変な夢を見たかみつきっどは5時くらいにトイレに行った。確か、夢の中のトイレにはなぜかウサギがたくさんいた。一応断っておくが、かみつキッドの現実のおとんは隠蔽工作などしない社会的常識をもっている真面目なおとんである。この一連の出来事は夢の話。
 
昔一度、ずっと憧れていたチェロの先生に「かみつキッドがどんなかみつキッドになっても味方だから」と言われたことがある。その時は深く考えなかったが、今思えば本当に幸せ者だった。大袈裟に言えば、自分は自分として存在していいんだという本当に嬉しい言葉に感じる。そんな風に想ってくれる人を大切にしたい。そんな風に想える人を自分にはいったい何人いるだろうか。この夢とは少し趣旨が違うが、そんなことを思い出した。
 
夢はすぐに忘れるもの。
この夢は少し面白かったので、こんな夜更けに寝る時間を割いてアップしました。
 
なんだまだ5時40分じゃないか。
もっと寝よう。
気分はまあまあ。
 

【文献】東山/京都風景論

東山/京都風景論
 

編者:加藤哲弘・中川理・並木誠士
発行所:昭和堂
発行:2006年5月15日
 
目次
はじめに
第1章 東山から考える―景観論・風景論
第2章 描かれた東山―景観史と美術史の間で
第3章 趣味世界としての東山―東山でおこなわれた茶会をめぐって
第4章 「背景」としての東山―第四回内国勧業博覧会と平安遷都千百年紀年祭を通して
第5章 守られた東山―名勝保護政策をめぐって
第6章 景観としての東山―近代における神楽岡地域の再構成
第7章 管理された東山―近代の景観意識と森林施業
第8章 東山をめぐる二つの価値観
東山の議論から見えてくること
 
 本書は、加藤哲弘・並木誠士氏らが活動している「景観?研究会」の成果について東山を主題としてまとめたものです。景観という視点から実際の風景のみならず、その風景に至る歴史やその内面にある東山の多様で豊かな様態について、美学から景観工学まで幅広い分野より議論されています。本文は「景観」という多様で曖昧な概念の定義について考察している第1章から、第2章では東山のイメージを美術史の立場から検討し、第3章では茶会を通しての近代の東山の景観を眺めていて、このように第8章まで著者らの専門的観点から東山の景観について論じる構成が続いています。各章の詳細はここでは取り上げませんが、特に、東山の森林管理に関して直接触れている第7章「管理された東山―近代の景観意識と森林施業」について少し考えてみたいと思います。
 
 日本には760万ha(国土面積の約21%)の国有林があって、現在は林野庁が管理経営を行っています。その内の約8%が京都大阪にあり、京都市のみになると全体のわずか2%となります。このわずか2%しかない京都市の国有林ですが、その多くが明治初期の「社寺上知令」によって国有林に編入された旧社寺領です。また、市内の国有林は重要な文化遺産などの背景として多くが所在しています。例えば、東山に位置する高台寺山や銀閣寺山などがそれです。北山には鞍馬山国有林が、西山には嵐山国有林があります。国際観光都市でもある京都の街並みと国有林を含む山並みを含むこの景観は、観光資源としての価値もあり、そこに他の国有林にはない特殊性が垣間見られます。
 
 一般に幕末から明治初期にかけては、全国的に森林が最も荒廃した時期だと言われています。京都でも民有林を中心に乱伐が繰り返され、そのまま植林されることなく、はげ地となった山も少なくありませんでした。明治政府の監督不行き届き、開墾の奨励、財政補填のための官林の払い下げ、土地所有権の確認に伴う森林処分の自由化、建築ブームによる木材価格の高騰、陶業など各種産業の隆盛による薪炭需要の増大などが、荒廃の原因として指摘されています。
 
 明治初期に乱伐を受けた東山は、その後どのような姿となっていったのでしょう。1884年(明治17年)から1890年(明治23年)にかけて実測された「京阪地方仮製二万分一地形図」と、当時の文献史料、後の林相調査などから、明治中期頃のおおよその植生を知ることができます。これによると、南禅寺から南の山々では、背の低いマツ主体の林が頂上から山裾付近まで山を広く覆っていて、マツのほとんどが樹高2~3m以下のアカマツであったようです。明治中期に東山を覆っていたアカマツ林は、江戸時代からのものではなくて、その樹齢から明治初期の乱伐後に成長したものであることがわかっています。このように東山の近代は、乱伐とその後に成長してきたアカマツ林の景観から始まりました。
 
 余談を少し。東京帝国大学林学科教授だった本多静六(ほんだせいろく)先生は、1897年(明治30年)に「赤松亡国論」という警告的論文を著して、アカマツ林の増加は土地の衰退を意味するものであって、このままでは日本はやがて砂漠化し、国が滅ぶと訴えました。その衝撃的な内容は、科学的に矛盾が多いものの、乱伐跡地にアカマツ林が広がる状況が、当時、京都に限らず日本全国で見られたことを示しています。本多先生は、日本の「公園の父」と呼ばれ、数多くの公園などを設計されています。東京の日比谷公園(1901年)や奈良公園、驚いたことに滋賀県の大津森林公園の設計にも携わっておられたようです。また、現在の東京大学農学部を卒業後、林学を学ぶためにドイツへ留学されています。現在のドレスデン工科大学林学部とミュンヘン大学です。ドイツでの博士号は経済学ですが、その後林学も取得されています。ドイツでどんな活動をされていたのか、かみつキッドには少し気になるところです。
 
 東山は、市街地から望む部分に社寺上知林や社寺境内林が多く、その管理は東山の景観に大きな影響を与えました。社寺上知林の大半は明治以降、国有林に編入され、1886年(明治19年)までは京都府山林掛、それ以降は農商務省によって管理されることになります。明治10年頃から国有林は禁伐主義による森林管理が展開されることになります。しかし、風致や景観に対する意識は見られるものの、こうした禁伐を中心とする森林管理は、禁伐林に指定するだけで、積極的な景観保全を意図したものではありませんでした。明治期から大正期にかけての森林管理は、乱伐の防止と国による直轄管理体制の確立が急務であって、景観整備に踏み込む段階には至っていなかったのが実情でした。
 
 積極的とは言えない国の森林管理に対して、京都内部には強い危機感があり、早い時期から様々な森林保護の動きが見られました。こうした動きで注目されるのは、府による名勝地の公園化計画です。これは名勝地を公園として位置づけることで、府が森林の管理権を掌握し、その整備を図ろうとするものでした。嵐山、清水寺などが公園の候補地としてあげられました。明治10年後半には、琵琶湖疏水工事など近代化を進めた時期にあたり、名勝地の公園化計画もまた、こうした都市整備事業の一つとして構想されました。

 1918年(大正7年)、京都市は東京市区改正条例の準用を受けて、1920年の都市計画法の施行によって都市計画の審議に本格的に着手しました。山が市街地に接近する京都では、都市計画の策定にあたって、名勝地を含む山の扱いが様々に論じられ、山地を積極的に取り組んだ京都独自の都市計画案が練られていきました。1930年(昭和5年)には、市の東部、北部、西部の山麓約1500haが風致地区に指定されます。風致地区として指定されることにより、面的かつ一体的な保護の網が掛けられるようになりました。それまでは、部分的な植林や伐採規制以外は、史跡名勝天然記念物保存法による点としての保護と、森林法の風致保安林指定による禁伐保護に限られていました。
 
 風致地区指定などに示される山に対する関心の高まりは、自然が観光資源として経済的に高い価値をもったことがその背景にありました。明治以降は海外からの観光客も増加し、大正期になるとさらに交通機関の発達などによって、一般の人々の間にも旅行や郊外レクリエーションが流行します。京都では全国で初めて観光課を設置するなど、観光を重視する姿勢を強く打ち出していきます。こうした観光資源としての自然環境整備は、同時に開発を伴うものでした。東山でも大正時代末以降は、森林を禁伐保護とする一方で、観光開発も盛んに行われました。こうした観光の流行に加えて、昭和初期には、山林や屋敷林、社寺境内林などその土地独自の景観を「郷士風景」として見直そうとする動きが全国で見られるようになります。「郷土風景」とは、そこに住む人々の働きかけによって生まれる自然風景のことを指します。自然が都市計画の中に位置づけられ、また、観光資源、郷土風景として評価されたことで、昭和初期には都市における自然をどのように扱うべきかといった議論がされるようになりました。京都においては、東山を含む市街地周辺の山が創造すべき自然景観として挙げられました。
 
 東山に都市計画や観光など様々な視点から注目が集まる一方で、実際の山は徐々にその姿を変えていきます。明治中期に東山を覆っていた低いアカマツ林は、昭和初期には人の手が入らなくなった部分から異なる樹種の林へと変化していることが指摘されます。アカマツは陽性の樹種で、乱伐の跡地や過度に森林が利用されている場所には生育しますが、大きく密に成長してしまった林では、後継樹としてアカマツは育たないことがわかっています。こうした林相の遷移は、明治期から禁伐林に編入され、古損木の除去をおこなう以外はほとんど手をつけない状態におかれた国有林で顕著でした。昭和初期の東山の林相は、まだアカマツ林が広がっていましたが、中腹以下ではすでにシイなどが侵入して、一部ではシイとマツの混交林になっていました。東山の林相が早いスピードで遷移した原因は、風致保護を理由に採られてきた禁伐主義にあります。林相の遷移を招いた禁伐主義に対する批判と、景観保護のための積極的な施業の必要は、昭和のはじめごろから学界でもしばしば取り上げられました。そしてそれは、森林施業の現場で、より現実的な問題として受け止められていくことになります。
 
 国有林の具体的な施業内容は、国の機関である営林局によって決定され、施業案説明書としてまとめられました。京都府にある国有林については、第三次検討の施業案までは原則的に禁伐という内容にとどまっていましたが、その後それを否定し、1929年(昭和4年)度の施業案では、新しい景観保護の考え方を実際の施業において実現しようとする、最初の試みが見られました。この施業案では、特に東山を取り上げています。アカマツが減少している状況を危惧して、アカマツの景観がいかに京都の背景として重要であるかを指摘し、アカマツを育てることが施業の目的とされました。具体的には市街地から見える部分は、アカマツを基調として、そのなかにカエデ、ヤマザクラの鑑賞樹やヒノキ、シイなどが混交する森林が目指され、アカマツの造林や保護を中心に計画されました。東山については、景観上特に重要であることから、嵐山とともに個別に施業計画を作成することが決定されます。それが「東山国有林風致計画」です。
 
 当初、目指された姿はアカマツを主体とする明るい林の中に、ヒノキやシイの濃緑の林が部分的に入り込むことで景観を引き締め、落葉樹が四季の変化をもたらすという景観イメージでした。しかし、1934年(昭和9年)9月の室戸台風によって東山は甚大な被害を受けます。これにより、施業計画の内容は復旧が差し当たっての目標となり、景観をコントロールするための施業については、将来の足がかりとなる指針を示すにとどまりました。しかしながら、「東山国有林風致計画」は、見る側と見られる側という市街地と東山との関係を明確にし、その関係においてふさわしいと考えられた姿を、「計画」という近代的概念を通して実現しようとしたものとして重要なものになっています。
 
 「東山国有林風致計画」を作成するにあたり大阪営林局は、行政官や有識者、東山関係者を集めて「東山風致復旧計画座談会」を開催しています。これは、災害復旧の状況を説明するとともに、今後の森林施業について意見を聞くことを目的としていました。室戸台風の被害を契機に、東山の景観をいかにすべきかという課題が、森林管理者のみならず、住民全体の問題として共有され、そのことによって、東山の存在意義、景観を維持するうえでの問題点が顕在化していきました。
 
 近代において東山は、乱伐による荒廃、アカマツの成育、そしてアカマツからシイやカシへの遷移という景観変化を経験しました。それは、近世的里山利用の終焉と管理形態の変容、風致保護の名のもとに採られた禁伐主義の結果としてもたらされたものでした。そして、人々は山の景観変化を目の当たりにして、山をもっぱら眺める対象としてとらえ、植生を人為的にコントロールしようとする風致施業計画へと辿り着きます。その過程は、東山の景観が歴史的文脈から切り離され、生活行為の投射体としての役割を失っていく過程でもありました。言い換えれば、景観が体現していたのは、東山が身体経験と乖離し、客体化していくプロセスだったのです。近代の都市計画および風致施業計画において、東山は都市の構成要素、景観要素としてとらえられ、「計画」のもとにその扱いが決定されることになります。この「計画」の概念の導入こそが近代の景観意識の基本的特徴であって、「計画」は東山と都市空間とを近代という時代が求めた関係において、再びつなぎ合わせる役割を果たしたといえるでしょう。
 
 「都市における自然は、歴史を通して人為的に操作されることで生活と結びつき、その存在が受け入れられてきた。」とは冒頭部の一文です。この東山の森林管理と景観意識の事例は、その言葉に集約されるような印象を受けます。簡単なおさらいです。東山を中心とした京都の山並みは、近代になるとまず「管理」の対象となります。これは東山の景観意識からくるものです。誰がどのようにしたら山並みを合理的に維持していけるのかということが課題となりました。そして、その後に「計画」の対象ともなります。公園都市として位置づけられた京都は、山並みも都市計画の対象とされました。こうして近代社会は、それまでの街の「背景」としてあった東山に街と同格の価値を与えていきました。これによって、東山は遠くに眺めるだけの存在ではなくなり、国や地方政治の政策対象となりました。それは同時に、東山の風景に「美しさ」という限定的な価値を与えることも意味していました。まさに風景や景観という概念から豊かな意味が失われていく過程を象徴しているようです。東山の森林管理の歴史から伺える景観意識の変遷は、景観という概念の根拠それ自体の変容を意味していると考えられるでしょう。
 
 しかし、こうした景観意識が実際の東山を大きく変えることはありませんでした。柳田國男は、他の地方に成育する樹木を、自分の住む村に移植しようとして失敗した経験をもとに次のように述べています。「土地と樹木との因縁は、われわれなどよりもずっと深く根強く、したがってまたゆっくりとしている。それをぜひとも見とどけなければならぬように、自ら義務づけることが物知らずであった。」最後に、著者は柳田國男のこの言葉を引用してこう締めくくっています。「生活行為がつくる景観と、計画によってつくることが可能な景観との差異を、近代の時間意識の限界を指摘しつつ示したものとして、近代の東山におこったできごとに対して示唆的である。」
 
ここで記載している内容は、そのほとんどが著者の文章をお借りしています。
 
 かみつキッドは2011年の夏に一ヶ月程度ですが、林野庁の出先機関である京都大阪森林管理事務所でインターンシップ生として研修をしました。その時、所長に読むことを薦められたのがこの本でした。ほぼ毎日国有林の現場を歩いてまわりましたが、現場を見たからこそわかることがあるものです。この研修の詳細は別ページに書くことにします。
  
参考文献
田中和博編:古都の森を守り活かすーモデルフォレスト京都―, 京都大学学術出版会, (2008)
大阪営林局:東山国有林風致計書, (1936)
東山/京都風景論, 加藤哲弘ほか, 昭和堂, (2006)
 

【文献】たぬきの冬

たぬきの冬
著者:石城譲吉(いしがき けんきち)
発行所:朝日新聞社
発行:1981年3月30日

目次
キツネの七変化
キツツキと木つつき
タヌキの冬
カインの末裔
種の輪郭
ヒグマ数理学
エゾリスとチョウセンゴヨウ
鳥の中のサル
モズと先生
心のカワウソ
アオサギの挽歌
イタチ風雲録
スズメのお宿
私のクロツグミ
あとがき

正月休みを利用して以前からじっくり読みたいと思っていた本を読むことにしました。
働くときはしっかりと働き、休むときは心からくつろぐ。
オンとオフの切り替えが下手なかみつキッドは、仕事の効率が(おそらく?)良いドイツの人たちを見習いたいと思います。
  
今回読んだのは「たぬきの冬」という本で、北海道の自然と野生動物たちのヒトとの関係を面白く表現されている書記です。本書は残念なことにすでに絶版されているようですね。
環境省より出向されている先生にこの本を薦められずっと読む機会を逃していました。
ちょっと難しい数式が少しだけでてきますが、これは動物生態学の専門書ではなくて一般向けの読み易い内容になっています。
現在では自然保護や環境共生といった言葉が一般常識のようになっている風潮がありますが、
この30年ほど前の著書から、人の自然に対する根本的考え方の移り変わりがわかるようです。
特に、クマを護りたい狩人のおじいさんが著者に「北海道にはヒグマが何頭いるのか?」という単純な問題なのに現状では答えがでない質問を投げかけ、悩む著者がその問いからヒトと自然と野生動物との関係を考えていくシーンがよかったです。
この話の最後にこう書かれていました。 
 
私の胸の中には、今も爺さんの言葉が消えることはない。
「クマは恐ろしい奴だ。あれは人や牛を一撃ちで殺してしまう。そしてわしら人間も、奴らを殺してきた。それはやむを得んことだったんだ。だが、もうこれからはちがう。わしらが鉄砲をすて、奴らが住む森を残してやれば、それでもわしらに害をするほど、奴らは馬鹿な動物でねえ」
ほんとうに、爺さんの言うとおりである。
 
かみつキッドもそのとおりだと思いました。
まさに、自然環境をフィールドにした私たちヒトの暮らしと野生動植物たちとの理想的な関係を表現する例だと思いました。
  
著者の石城先生は1934年に長野県諏訪市に生まれ、北海道大学農学部を卒業後、高校教員、北海道大学大学院を経て、農学部付属苫小牧演習林長に就かれました。日本のイワナ研究の第一人者なのですね。現在は北海道名誉教授として大学外の現場でも活躍されているようです。最近の著書には「森林と人間―ある都市近郊林の物語」があります。かみつキッドも日本に帰ってから読みたいと思います。
 

Aus einem Prospekt

これはどこにでもある広告に記載されていました。


Quelle: Greenpeace HP

どうやらドイツにあるスーパーマーケットの番付のようです。
Greenpeaceという国際的な環境保護協会が独自の調査で評価されています。
データの取得情報や評価の基準の詳細はこちら→ http://www.greenpeace.de/publikationen/

この表は魚介類に対して調査されたものです。
調査項目は以下の通りです。

Supermärkte / Discounter
スーパーマーケットの名前
Ziele, Maßnahmen & Geltungsbereich
目標
Nachhaltige Sortimensgestaltung
持続的な在庫
Kennzeichung der Produkte
製品の特徴
Sozialstandards
社会的規準
Transparenz / Kundeninformation
透明性 / 顧客情報
Verantwortlichkeiten ausgefüllt
責任の所在
Überprüfung der Umsetzung
検査
Gesamtberwertung: Umsetzung der Einkaufspolitik
合計

この表を見ると、総合評価で「Kaufland」がトップ、「Bünting」、「Lidl」と続きます。
「Aldi」は北ドイツと南ドイツで二つタイプがあるのですが、面白いことに魚介類を多く入手している北ドイツよりも南ドイツの方が上位にきています。
この他に果物や野菜などの調査報告もあるようですね。
調査結果の精度は抜きにして、普段から一般消費者に提示されるということはありがたいことですね。